「Ground Zero、1年半後 その2」

South Bridgeも仮設階段

グラウンド・ゼロの南側

ワン・ワールド・ファイナンシャル・センターからSouth Bridgeを渡るとグランド・ゼロのちょうど真南にでる。かつてそこにあったマリオット・ホテルは今はもうない。South Bridgeもその半分は仮設階段になっている。グランド・ゼロのまわりには金網が張り巡らされ、その金網ごしに黙って見つめる幾人もの人々の姿が目に付いた。

思いを込めた写真が貼られている壁

壁に書かれた寄せ書き


South Bridgeからちょうど階段を下りた突き当たりの壁に、何枚もの写真が壁を埋め尽くすように貼られていた。在りし日のツインタワーの在るマンハッタンの景色、もくもくと煙をはき続ける事件後の現場写真、惨劇で亡くなった家族の写真などが所狭しと貼られていた。壁の前には言葉を失った人々が、立ち止まり、目を真っ赤に腫らして壁を見つめていた。

Churchストリートに向かう通りの脇に立つ工事用の壁にもたくさんの落書き、といっては申し訳ない寄せ書きが書き連ねてあった。家族、知人への思いから、テロ反対のメッセージまで様々な言葉が寄せられていた。「Peace」の一言に込められた思いは宗教、国、性別、肌の色、言葉に関係なく誰もがこの現場で心に願うことなのかもしれない。

掘り起こされた十字架

ストリート名の隣には9/11/01の文字



グランド・ゼロの東側を走るChurchストリートはイエロー・キャブ、バスなどがぱらぱらと往来し、道行く人々も急ぎ足で通り過ぎていく。まだ当時の賑やかさを取り戻してないこのストリートから見た金網越しのグランド・ゼロの光景に、鉄骨の十字架が際立って目につく。復旧作業の中でたまたま発見されたこの十字架形の鉄骨は、かつてツインタワーの屋台骨だったものらしい。ある意味この惨劇の象徴として、今もまだ現場に残されているようだ。

ニューヨークの交差点には必ず交差する通りの名前が標識として掲げられているが、ここChurchストリートとLibertyストリートの標識には通りの名前だけではなく、星条旗と「9/11/01」の日付が特別についていた。何年もの時が流れ、グランド・ゼロの光景が変化しても、この標識はきっと変わらずにこの惨劇の日付を刻みつつけたままでいるのだろう。

St. Paul Church

St.Paul Churchの中



Churchストリートからブロードウェイに抜けて北上すると、St. Paul Churchにでる。教会の壁にはでかでかとポスターが貼られ、崩れ行くツインタワーの煙にまかれているSt.Paul Churchの姿に「OUT OF THE DUST」の文字が刻まれている。惨劇の直後から、この教会はボランティア達の基地となり、救助作業に集まってきたたくさんの人々を支える休憩所として利用されていた場所だ。教会内に一歩入ると、今も当時寄せられた人々の暖かいメッセージ、救援物資、当時のボランティア達の写真などが展示されている。 この場所を拠点に大勢の人々の思いを胸に救助隊の消防士、警察官、軍隊の人々が数ヶ月にも渡って全身全霊で救助作業を続けていたのだ。

久しぶりに足を運んだ悲劇の現場は、着実にあの日から変わってきていることになんとも言えない感慨を受けた。 時の流れとともに自分自身に起きている様々な変化、成長がここグランド・ゼロにも確実に起きていた。当時を振り返りつつ訪れたこの場所で、かつて抱いた悲しみ、嘆き、怒りの感情を思い出しつつも、変わりつつあるニューヨークの姿に希望、未来といった言葉が少しづつ見えてきた気がする。

Ground Zeroのことを書くのは恐らくこれが最後になると思う。何年先になるのかわからないが、次にこの地を踏む時には新しいニューヨークのシンボルが今の工事現場に取って代わっていることだろう。 その頃にはニューヨーカー達もこの悲劇を心の片隅に抱えつつ、 力強くそれぞれの人生を歩んでいることだろう。

2003/05/24 記

「Ground Zero、1年半後 その1」
「Ground Zero、1年半後 その2」

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