「 親愛なるJJ 」

パレードの最中、午後の2時きっかりに全ての叫び声や音楽がなりやみ、エイズでなくなった人々への祈りが捧げられた。未だにエイズを直す薬は現れていない。この時、当時30代前半でこの世を去った友達のJJを静かに思い出してみた。その日は穏やかな風の吹く夕方、大学からの帰り道だった。アパートの一階で郵便物をのぞいたついでにふと掲示版を見上げた時、彼の葬式の知らせを見つけ、慌てて隣の教会まで走ったのを覚えている。

JJと初めて出会ったのは90年の秋頃だったろうか、アパートの目の前にあるコインランドリーで陽気に声をかけてきたのは彼だった。大柄な体に人なつっこい笑顔とよく通る声が特徴的だった。人目でゲイとわかるその物腰に、最初は警戒した作り笑顔を返してしまった気がする。アクターだった彼の芝居を見にいったり、彼のバイト先のカリブ海料理店にいったり、亡くなる1年ほど前には彼の初めてのコンサートを当時の彼女との初デートに使ったことを懐かしく思い出す。

住んでいたアパートが転売に次ぐ転売で、公共料金支払いの危機にさらされた時にアパートの住民団結のために助力したのは彼だった。週に一度のアパートの一階で行われるミーティングに友達の弁護士を連れてきたり、みんなを勇気づけたのも彼だった。

教会は300人強の彼の家族、友人達でいっぱいになっていた。みんなの胸につけたエイズの支援マークである赤いリボンを見て彼が逝ってしまった理由がわかった。誰にでもやさしかった人なつっこさに代表される彼の人柄を、壇上の友人達が彼の思いでと共に語っているのを聞きながら、二度と会えないということをぼんやりした現実として捕らえていた。隣にいた体格の大きい黒人のおばちゃんが流していた涙が忘れられない。「JJはね、とってもいい子で、いつもスーパーで会うと私の荷物をいっしょに運んでくれたんだよ」って鼻をすすりながら話してくれた。

あれから6年、ニューヨークを離れていたり、仕事に追われたりしてなかなか思い出すことがなかったけど、今日久しぶりに心の引き出しを開けてみて、大柄な彼の暖かな笑顔を思い出すことができた。

- Dedicated to my first gay friend, JJ


「ゲイ&レズビアン・パレード (其の1)」
「ゲイ&レズビアン・パレード (其の2)」
・「親愛なるJJ」
「ゲイ&レズビアン・パレード (輝けるパレード参加者たち)」



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