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- 今年5番街の52丁目に出現した服屋さん、「H&M」は瞬く間にニューヨーカーに受け入れられた。高級ブランド店の建ち並ぶこの一等地、日本でいうところの銀座、パリで言えばシャンゼリゼ通りである5番街に、北欧から来たこの庶民的な服屋が流行る理由はいったいなんだろう。
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- H&Mの特徴はというと、安い、ひたすら安い。洋服の生地もお世辞にもいいとはいえない。でもこの店はオープン以来大流行だ。日本ではあまり知られていないかもしれないが、ほとんどのアメリカ人は洋服に金をかけない。グッチもシャネルもプラダもコーチも高くて、私の周りのアメリカ人は誰も持っていない。アメリカ人のほとんどは貧乏なのだろうか・・・
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- 日本のファッション雑誌に必ず年に一度は出てくる特集に、「この○流行のニューヨーク最新ファッション」がある。果たしてニューヨークで本当にそのファッションは流行っているのか考えたことがあるだろうか。「ファッション対決、ニューヨーク、パリ、東京」の中で、一番お洒落な街はある意味、間違いなく東京だと思う。それが個性的かどうかは置いておいて、東京(日本)の人はとても華やかな服装をしている。一人二人ではなく、たくさんの人達がファッション雑誌にのっている流行りの服装をしているから、渋谷の交差点で見かける風景の鮮やかなことといったらこの上ない。
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- 別の見方をすると、ニューヨーク、パリには流行りがないといえるのかも知れない。その季節によって、何が流行っているかなどは道行く人々を見る限りまったく検討もつかない。同じような服装をしている人がまず見つからないのだ。先日知り合いが話していたのだが、日本のファッション雑誌のいいところは一般の人がたくさん乗っていることだという。アメリカのファッション雑誌を見ると、確かにきれいなモデル達がたくさん乗っているが、一般の人が写っているのを見たことがない。友達の女性に言わせると、雑誌に写っている折れそうなほどに細いスタイルのいい女性は現実感が全くわかないのだという。だからこそ、モデルの服装を誰もしようとはしないらしい。あくまでただの観賞用なのだそうだ。
アメリカ人の思考の中に、流行りの服装が欲しいという感覚はほとんどないように思うのは気のせいだろうか。小さな頃から自己を形成することを続け、他人と違う自分を作り上げることに必死になっているように思う。髪形も服装も、自分らしく、個性を追求することに必死になっているのではないだろうか。
お金に対しての価値観の違いというのを感じたのは、いつもチープな服装でその美貌がもったいないと日ごろ感じていた友人と話をした時だった。「○はどうしてブランド品を着たりしないの?」という問いの答えは「だって、旅行に行けなくなってしまうじゃない」という単純明快な答えだった。彼女にとってブランド品のお洒落をするより年に二回のヨーロッパ旅行と、友達と行くスキー旅行のほうがずっと価値があって、大切だという。彼女曰く、「お金があまっていたら高価な洋服を買ってお洒落を楽しむだろうけど、私は人並みにしか給料をもらえないから、無理しないで買えるものしか買わないわ。だって、何ヶ月分もお金をためて一着の洋服を買うのだったらしょっちゅう旅行に行っていろんな所がみたいもの」。妙に説得力のある言葉だったのを覚えている。
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- やはりニューヨークの最新流行ファッションは存在しないのだろうか。そんなことを考えつつ、Beneton、Banana
Republic、Gapで見かけた妙に色の似通ったピンクが今年の流行なのかなーなどとふと頭をよぎった。
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