ブランデンブルク門
壁博物館の東西統一の記録
勝利者の塔
残っている東西分断していた壁
テレビ塔
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1947年から続いたドイツの東西分裂が再び統一されたのは1990年10月3日のことだった。東西ドイツを分断していたあの壁が人々の手で壊されていく様をテレビで見ていたのはそんなに昔のことではない。壁の崩壊とともに駆け寄り、抱き合う人々の姿は言い知れぬ感動を与えてくれた。
ケルンから高速鉄道に乗り、ベルリンについたのは朝方だった。ZOO駅を降り立ってびっくりしたのは建物のあまりのでかさだった。道はだだっ広く、両脇に立つ古びた建物はどれもこれも異常に大きい。NY暮らしをしているので、外人サイズというのは理解しているつもりでいたが、ここベルリンの建物はアメリカサイズよりもさらに大きい。
まずベルリンで行きたかったのはブランデンブルク門。そう、あのベルリンの壁が崩壊した記念すべき日の映像でみたこの門は一度行ってみたかったのだ。今時はベルリンマラソンのほうが印象に残っているのかもしれないが。かつてはこの門の前に長々と高い壁がそそり立っており、この壁を隔てて社会主義、民主主義が隣り合っていたため、自由に行き来することができなかったとは想像できないほど、現在は静かにたたずんでいた。
ベルリンには壁博物館という場所がある。この博物館にはドイツが分断されていた時代、そしてあの壁崩壊時の記録が写真、映像等でたくさん保存されている。
中でもびっくりしたのは当時命がけで西側に離れ離れになってしまった家族に会いに行くために車のボンネットに隠れて国境を越えた人の記録。国境を越えるところあ見つかったら即座に銃殺されてしまうような時代だったのだ。数字は忘れてしまったが、ものすごい数の人々が国境を越えようとして殺されたそうだ。この博物館で流れていたベルリンの壁崩壊時の記録映像はほんとに感動した。
「勝利の塔」といえば、思い出すのはあの映画「ベルリン天使の歌」。この塔は実際に中に入ることができ、上まで上ることができる。塔の上からは遥か先にブランデンブルク門も眺めることができた。やっぱり映画で見た風景に実際に立つとなんだかうれしい。
ここベルリンには、たまたまアムステルダムを旅した時に知り合った日本人の若者が住んでいるとのことで、実は彼を訪ねてみることになっていた。同じくアムステルダムで知り合った同じバックパッカーの日本人とも1週間ぶりの再会をし、二人で元東ベルリンにあたる場所に住んでいる留学生の彼を尋ねてぼろぼろの路面電車に乗った。旧西ドイツ側と旧東ドイツ側は町の雰囲気も建物もほんと全く違っていておもしろい。彼の家で作ってもらったチキンカレーは久しぶりのお米との出会いで、感動するほどうまかった。ルームメイトのドイツ人の女の子とドイツ語で話す彼がちょっぴり羨ましいと思いつつ、毛布一枚を借りて雑魚寝したベルリンの夜は少し肌寒かった。
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