番外編 「しゃも




East Villageの6丁目、インド料理街に居並ぶアパートで「しゃも」は生まれた。母親 「とら」、兄弟「なび」、父親不詳。生まれて数日の「しゃも」はまだふらつきながら「とら」の後を歩いていたのを覚えている。生後1ヶ月にして我が家へと養子にきた「しゃも」は、玄関先ではじめて見る「とら」の三倍はあろうかというブタネコの「たま」にびびりもせずに立ち向かった。それから三日間、暇さえあればフーッフーッというにらみ合い、引っかき合いが続いたが、ようやくお互いの存在を認め合うようになった。
 
雨降って地固まるではないが、キッチンのネコ皿(お魚印のついた)を二人で顔を突き合わせながら仲良くキャットフードを食べあう仲にいつの間にかなっていた。もともと雑種の2匹だが、なんとなくアメリカンショートヘアとなんかがまざった感じが似ていて、はためから見るとどう見ても親子のように見えるのが不思議だった。よく飼い主が寝る時間になると、二人そろってベッドの上に載ってきて、ごろんとまるまって少しだけ距離をおいて寝ていた。
数ヶ月した「しゃも」は、「たま」と比べると細身ですっきりした身体つきとなり、人間だったらかなりのスタイルを持つおしゃまな美人ではないかと思うほどに成長した。そこら辺の血統書付きネコ達にも決して引けはとらないぐらいの細面だ。ちょっとおばかさんなところもまた愛嬌でかわいい。
 
「しゃも」はニューヨーク生まれのくせに、「たま」のように一度もストリートや近くの公園に連れて行ってあげられなかった。East Villageの古びたアパートの中にある小さな2ベッドルームしかニューヨークを知らないネコだった。
 
JALの貨物便に乗って「たま」と二匹、ニューヨークを後にしたのは「しゃも」がまだ2歳になって半年もたたない頃だった。生まれてはじめての長旅で、すっかり緊張していた。二人にとっての長くて苦しい空の旅を終えて成田につくも、最終目的地の長野までにはまだスカイライナー、新幹線の乗り継ぎが待っている。それから数時間をかけて信州の実家に帰りついたころには、二人は狭い籠の中ですっかり怯えきっていた。初めて見る実家の景色にとまどいながらも、「しゃも」は恐る恐る「たま」と二人で床や壁の匂いを嗅ぎ出した。ここが二人の新しい家だった。
 
「しゃも」にとって生まれて初めての二階建て家屋はニューヨークの狭いアパートと違い、数日もすると家中を走り回るようになった。「たま」はというと、住む場所が変わっても一向に動じず、ごはんの時だけ人より先にネコ皿のところまでかけて行くぐらいで、後はのんびりと昼寝三昧の毎日を送っている。
 
新しい住居に慣れた「たま」は、時折玄関を勝手に開けてはこっそり散歩に出かけるようになった。「しゃも」はというと、外の世界を全く知らないこと、元来の臆病者であったために、いつも「たま」の開け放った玄関の扉の隙間からじっと「たま」の帰りを待っていた。
 
二人を実家に残したまま身勝手な主人は仕事で九州に渡り、その後ニューヨークにまた舞い戻った。二人を信州に残したまま。実家を後にするとき、二人は玄関まで見送りにでてくれたのを覚えている。すっかりニューヨークのことなど忘れてしまったかのように信州の実家に住み慣れた二人に安心し、また会える日までのしばしのお別れのつもりで家を後にした。あれからもう1年半の月日がたった。
 
日本時間8月7日の午前中、一本の電話が実家の母親からあった。「しゃもが亡くなった」その涙まじりの声とともに、突然の痙攣を起こし、心臓発作を煩って動かなくなった「しゃも」のことを話してくれた。つい5分前まで玄関の前でのんびりと寝そべっていた「しゃも」は両親の目の前で帰らぬ姿となった。まだ暖かさの残る「しゃも」の近くには心配して近づいてきた「たま」が立っているらしい。仲のよかった、親子、兄弟同然の相棒は母親の手で未来永劫、再び開くことのない瞼を閉じられたままだ。「たま」は逝ってしまった相棒を不思議そうに見つめている。
 
遠くニューヨークからその暖かさのまだ残る「しゃも」をこの手に抱えることはかなわない。もう二度と「しゃも」の爪でひっかかれることもない。寝ているベッドの上に重さを感じることもできない。ニューヨークに生まれ、はるか遠く、信州の玄関先で、その5歳と半年の生涯を閉じた「しゃも」。
   


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