「NYのCLUB今昔物語 その1」


Junior Vasquez at TWILO



WEBSTER HALL前


 

HMVでCDを探していて、懐かしい名前が目に飛び込んできた。「ジュニア・バスケツ」プロデュースのクラブリミックスのCDだった。彼の名前を耳にしたのはかれこれ10年近く前だろうか。「フランキー・ナックルズ」と二人、NYのDJ界で神様と呼ばれていた。彼らの回す曜日はいつでも大盛況で、どこのクラブでも引っ張りだこだった。
 
1980年代の終わり、14丁目の西端、ブッチャー通りに出現したクラブ、「マーズ」は日本人のプロデュースで一躍NY一の人気スポットだった。店の入り口には毎晩入場を待つ人だかりができ、ハドソン川から吹く冷たい風に震えながらピックアップされるのを待っていた。元肉屋の倉庫だったビルがまるごとクラブに華麗な変身を遂げ、各フロアにレゲエからハウスまで様々な音楽が響きわたり、寿司詰状態にも関わらず、午前一時の盛り上がりを見せていた。
 
マジソンスクエア・パークの前にあった「MK」は、ちょっと内装がお洒落で、ヤッピー達の社交場代わりに使われていた。小洒落たクラブは長くもたないというNYのセオリー通り、90年代に入ってすぐにクローズしてしまった。
 
当時のクラブ・ピープル達のセカンドクラブとして人気だったのは、なんといっても「サウンド・ファクトリー」だ。フランキー・ナックルズの回す明け方の盛り上がりは午前5時頃、通常のクラブが閉まった後、更なる盛り上がりを求めてクラブ・ピープル達が「サウンド・ファクトリー」に続々と集結してくる。巨大なスピーカーに囲まれた広いダンスフロアに集まった人々は、朝9時を回っても帰る気配を見せず、昼近くまで汗を流し続けるのはいつものことだ。「サウンド・ファクトリー」は数あるNYの箱(クラブ)の中でぴか一の音響を誇っていたものだ。

まだ危険な香りが漂っていたイーストビレッジにも「ワールド」や「セイブ・ザ・ロボット」があり、薬や葉っぱでいかれた奴らが通い詰めていたのもこの頃だった。彼らはみんな焦点の定まらないぶっとんだ目をし、トイレはいつもたくさんの人で溢れ、なぜか個室から複数の男女がわらわらとでてきたのを覚えている。地下鉄駅を改造したウェストサイドの「トンネル」とともに、これらのクラブは気が付けば発砲事件が起きて、クローズ、再オープンを繰り返していた。
 
その2に続く・・・

 

 
 


New York Nowのインデックスにもどる